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ハフィントンポストに記事が掲載されました(2)

前の投稿の続きです。

それで、今、なんで2か月も前の記事をわざわざブログでまた取り上げているかといいますと、
最近、この記事を読んだ方からメッセージをいただいたからなんです。

私は10年以上前から様々なメディアで

 ・なぜ音大を出ていないのに声楽家になったのか
 ・なぜ会社員を続けているのか

というような内容で取材を受けてきたのですが、
いまだにそういうお話に反応があるということの表れですね。

最近は社員の副業を良しとする企業もたくさん出てきましたので、そういう文脈でも反応があるのかもしれません。
でも多くは

 夢をかなえたい
 でもうまくいかない
 でも困難を乗り越えたい

ということなのではないでしょうか。

ひとつ言えるのは、

 叶うまでやめない

ということです。
身もふたもないことを言うようですが、続けられることも才能のひとつかと思いますし、
そう簡単に結果はでるものではないです。

私も20代の頃、一度、勉強をやめたことがあります。
やめたというよりは、ストレスで顎関節症になってしまって、口を開けることができなくなってしまったのです。
一時は食事をとることも大変なほどになってしまったので、歌どころではなかったのです。

あぁ、その頃もつらかったなぁ。

でも、その時わたしには仕事がありました。

仕事が辛い時には歌がありました。

前の投稿で書きましたがプロフェッショナルの勉強に切り替えたときに
嫌がらせをしてくるしょーもないやつもいましたが、
異質の私を受け入れて、いっしょに学びの輪に入れてくれた友人もいました。
今もその友人たちは私の宝物です。

仕事が辛い時は、音楽の友人が私を助けてくれます。
音楽に向き合うことで自分に向き合うこともできます。
音楽そのものが私を癒してくれたり勇気づけてくれたりもしてくれます。
音楽を通じて知り合った人々から力をもらうこともあります。

でも、それも一瞬の魔法でできあがったものではなくて、
時間をかけて築き上げてきたものなのです。

今は辛いこともあると思うのですが、
少し距離をおいてもいいから音楽と繋がっているといいと思います。

自分の中で何かひとつでいいので満たされているものがあると
案外続けられるものです。

それは情熱でもいい、愛情でもいい、友情でもいい、お金でもいい、やりがいでもいい、
なんだっていいんです。

時によってそれが変化しても、全然かまいません。

万が一、何一つ自分のなかに満ちているものが無くなって、音楽を続けることに精根尽きてしまったら、
その時はやめてみればいいと思います。

そしてしばらくして、後悔の念が生まれるようだったら、また始めればいい。
その時は付き合い方を変えればいいんじゃないかなと思います。

今後わたしのもそういう瞬間が訪れるかもしれません。
そうなったときに燃えカスになっていないように、私は今からいろんな準備をしています。

なぜなら、音楽とは心地よい関係でいられる部分を持っていたいからです。

また長くなりました。

今日はこれぐらいにしておこうと思います。

また迷うようなことがあったらご連絡ください。

・・・とメッセージをくださったかたが読んでいるかどうかは謎ですが、
私自身も忘れないために書き留めておこうと思ったのでした。

ではまたヾ(o´∀`o)ノ
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ハフィントンポストに記事が掲載されました(1)

1年も放置してしまいました<(_ _)>

昨年の年の瀬も押し迫った12月30日にハフィントンポスト日本版に記事が掲載されました。

「心を揺さぶる歌を送りたい」会社員と声楽家のダブルキャリアで夢かなえる

音楽を専門とするのか否か…これは子供の時からずっと研鑽を続けてきたものが若いうちに誰もが決断を迫られる問題だと思うのですが、私の場合は17歳でした。
当時はピアノを一生懸命やっていて、幼いころからピアノの先生や音楽の先生に「専門にやらせてあげてください」と私の親が説得されていました。

しかし残念ながらそれができる環境ではなかったので、高校2年でピアノをやめて普通の大学に進学することにしたのです。
といってもそれで順調に進んだわけではなく、一年浪人してやっとこさ早稲田大学に入学でき、
もう一つの夢であった新聞記者を志しました。

実は新聞社の報道部で働きながら大学を卒業したのですが、
う~ん、新聞記者になるのが嫌になってしまったのです。
ま、大手から内定をもらえなかったせいもあるのですが。

で、私の頭の片隅からずーっと離れずにいたのが、「東京で音楽を習いたい!」という思いでした。

就職してピアノから声楽へ専門を変えましたが、それを少しずつ実行に移していき、
そこでもやっぱり先生方から「音楽をちゃんとやったほうがいい」と勧められたのでした。

でもやっぱり、無理をしてでもそこに飛び込まない私なのでしたが、
それは「ちゃんと自立して働かなきゃ」という思いがあったからです。
ま、それが理性ってもんですね。
だって、音楽で食べていけないことはわかりきっているし、
そうやって生きるための支援が受けられる環境にないことはよくわかっていましたから。

しかし、その理性を情熱が上回る瞬間が私に訪れます。
それが31歳の時でした。
働きすぎてドクターストップがかかり、1年近く休職せざるをえなかったことがきっかけです。

人生一度きりなんだから、やりたいことをやらなくちゃ!
そう思って、今度は音楽を勉強ではなく職業としてとらえることになりました。

それから人生が変わりました。
生き方も、性格も変わりました。

いわゆる二足のわらじの生活は学生の頃からずっとしていたのですが、
声楽家と会社員の二足のわらじは、皆さんが想像するよりもだいぶ難しいことだと思っていただいて間違いないです。
しかも、音楽大学を出ていないでそれを成し遂げるのは、
技術や才能といったこととは別の面でも困難がたくさんありました。

しかし、今はそういう人も増えてきましたよね。
いろんな生き方が認められるようになってきた表れだと思います。

私の頃はそういう人は本当にいなかったので、どこに行っても異質でした。
指導する側からも、一緒に学ぶ側からもいろんなことをされました。
まぁ、平たく言うと嫌がらせです(笑)

けれど、それに負ける気はありませんでした。
あったら最初からやりません!

マイノリティーはどこに行ってもいじめらるんですよ。
それは日本だけではなくて、人間社会とはそういうものなのだと思います。

なんでも最初に始めた人はそういう目にあう運命なんだと思います。

長くなったので一旦ここまで。
続きは次の投稿で~!

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