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ハフィントンポストに記事が掲載されました(1)

1年も放置してしまいました<(_ _)>

昨年の年の瀬も押し迫った12月30日にハフィントンポスト日本版に記事が掲載されました。

「心を揺さぶる歌を送りたい」会社員と声楽家のダブルキャリアで夢かなえる

音楽を専門とするのか否か…これは子供の時からずっと研鑽を続けてきたものが若いうちに誰もが決断を迫られる問題だと思うのですが、私の場合は17歳でした。
当時はピアノを一生懸命やっていて、幼いころからピアノの先生や音楽の先生に「専門にやらせてあげてください」と私の親が説得されていました。

しかし残念ながらそれができる環境ではなかったので、高校2年でピアノをやめて普通の大学に進学することにしたのです。
といってもそれで順調に進んだわけではなく、一年浪人してやっとこさ早稲田大学に入学でき、
もう一つの夢であった新聞記者を志しました。

実は新聞社の報道部で働きながら大学を卒業したのですが、
う~ん、新聞記者になるのが嫌になってしまったのです。
ま、大手から内定をもらえなかったせいもあるのですが。

で、私の頭の片隅からずーっと離れずにいたのが、「東京で音楽を習いたい!」という思いでした。

就職してピアノから声楽へ専門を変えましたが、それを少しずつ実行に移していき、
そこでもやっぱり先生方から「音楽をちゃんとやったほうがいい」と勧められたのでした。

でもやっぱり、無理をしてでもそこに飛び込まない私なのでしたが、
それは「ちゃんと自立して働かなきゃ」という思いがあったからです。
ま、それが理性ってもんですね。
だって、音楽で食べていけないことはわかりきっているし、
そうやって生きるための支援が受けられる環境にないことはよくわかっていましたから。

しかし、その理性を情熱が上回る瞬間が私に訪れます。
それが31歳の時でした。
働きすぎてドクターストップがかかり、1年近く休職せざるをえなかったことがきっかけです。

人生一度きりなんだから、やりたいことをやらなくちゃ!
そう思って、今度は音楽を勉強ではなく職業としてとらえることになりました。

それから人生が変わりました。
生き方も、性格も変わりました。

いわゆる二足のわらじの生活は学生の頃からずっとしていたのですが、
声楽家と会社員の二足のわらじは、皆さんが想像するよりもだいぶ難しいことだと思っていただいて間違いないです。
しかも、音楽大学を出ていないでそれを成し遂げるのは、
技術や才能といったこととは別の面でも困難がたくさんありました。

しかし、今はそういう人も増えてきましたよね。
いろんな生き方が認められるようになってきた表れだと思います。

私の頃はそういう人は本当にいなかったので、どこに行っても異質でした。
指導する側からも、一緒に学ぶ側からもいろんなことをされました。
まぁ、平たく言うと嫌がらせです(笑)

けれど、それに負ける気はありませんでした。
あったら最初からやりません!

マイノリティーはどこに行ってもいじめらるんですよ。
それは日本だけではなくて、人間社会とはそういうものなのだと思います。

なんでも最初に始めた人はそういう目にあう運命なんだと思います。

長くなったので一旦ここまで。
続きは次の投稿で~!

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