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ボイトレの連載が始まりました!

この仕事をしていると、歌ばかりではなく人の声のことが気になって仕方がなくなります。

人のことも顔と名前を一致させるのではなく、声と名前を一致させて覚えるとか、
話し声を聞いて
「あぁ、この人が歌ったらすごくいいだろうな~」とか
「この方は声帯を合わせる訓練をしたらいい声になるだろうな」とか
そんなことが気になってミーティングの内容が頭に入ってこないぞー、なんてこともあるとかないとか…( /ω)

それに
話す時の声の出し方とか、腹式呼吸のこととか、日頃からよく質問されるので、
だったら歌の方だけではなく、話す方のボイストレーニングもやってみたいかも~と思い続けて
数年前から実際にトレーニングをさせていただくようになりました。

それを踏まえて歌ではない方のボイストレーニングの連載記事を書かせていただくことになりました。

10日前に初回がリリースされました。記事はこちらです。
今後は2週間に1回のペースで続けていく予定です。

たった1時間のトレーニングでも、皆さん声がガラッと変わります。
その効果がどの程度維持できるか、定着するかは個人差があります。
もちろん、トレーニング中に声が出るまでや、声以外の何かが変化するのにかかる時間も人それぞれまったく異なります。
改善したいポイントも人それぞれ違いますので、ボイストレーニングは完全カスタマイズなんです。

その方の本当の声がでるまではこちらも真剣勝負!
歌を教えるときとはまた違う感じで、しゃべりのボイトレは「一声(ひとこえ)入魂」と思って取り組んでいます(#^.^#)

【掲載】コンサートレビュー 「音楽の友」2007年5月号

以前掲載された記事を行方不明になる前に残しておこう~シリーズです。

2007年3月に行われた文化庁の人材育成公演「魔笛」の評が「音楽の友」に掲載されたのでした。
この公演はオーディションで選抜された若手の声楽家が出演するもので、「育成」の側面があり音楽のコーチも演出家も丁寧にご指導くださいました。
これ以前にもオペラに出演はしていましたが、大きな公演はこの公演が初めてでした。ちょうど二期会のオペラ研修所のマスタークラスを修了した年に受験して舞台を踏めたことは私にとってとても貴重な経験となったのでした。

記事はこちら。

文化庁「魔笛」_「音楽の友」2007年5月号

相変わらず小さくて読みにくいので記事の一部を文字に起こしておきます。

初日の24日は、何よりも指揮の小田野宏之の緻密な音楽トレーニングの成果であろうアンサンブルの美しさが、他のオペラ団体の公演と比較しても数段優れたものであった。3人の童子や侍女のアンサンブルの精緻さは、まさに「人材育成」にふさわしい。

私は上記の3人の童子の中の2番目、内声を歌っておりました!
こんなことをおっしゃっていただけて、うれしいなぁ。

写真はこちら。

文化庁魔笛 童子2

ジャケットを脱いでいますが、燕尾服を着ていました。このカツラは後ろが長い三つ編みになっていて、「子モーツァルト」のイメージでした(^^)
今の私の声だと「魔笛で童子2を歌ったんですよ~」というと、「えっ、侍女でしょ?」って言われてしまいますが、昔はか細い声で歌っていたんですよね。(←今も小声ですがね)
ま、齢も進み、体形も変わって、今なら間違いなく侍女の方でしょうね~。
機会があったら歌いたい役の一つです、侍女2。(お仕事、待ってまぁす♡)

次はいつ「魔笛」の舞台に乗れるでしょうか。
その日のためにまた頑張ろうと思います。

公演のチラシを載せておきます(^^)/
チラシもかわいいでしょ?

文化庁魔笛 表

文化庁魔笛 裏

【掲載】オトナの総合学習(朝日新聞2004年3月20日)

10年以上前の記事ですが、こういうものも記録しておかないとどんどん読めなくなってしまうので、過去に取材を受けたものを少しずつこのブログに記録しておこうと思います。

今日はなんと11年前(!)、二期会オペラ研修所予科の時に朝日新聞に掲載された記事です。

◆2004年3月20日(土)朝日新聞朝刊21面

朝日記事

読みにくいので以下、テキストを記載しておきます。

■□■□■□■□■□■□
 都内に住む池野博子さんは03年から、テノール歌手の錦織健さんらを輩出した「二期会」のオペラ研修所の研修生だ。昼間は派遣社員、夜は歌のレッスンに励む。2月にはオペラの舞台に立った。コンサートに出る予定もある。
 大学卒業後、趣味で歌を続けていたが、仕事で体をこわし「本当にやりたいのは音楽」と気づいた。「しろうと」と言われるのがいやで、プロを目指した。「年収が上がってもうれしくなかった。音楽に自分が救われた。夢はかなうまで続けるもの」
■□■□■□■□■□■□
※写真は私ではありません(笑)


2011年にNHKの番組になった時にもう少し細かくお話していますが、31歳の時に働きすぎで体を壊しまして…それをきっかけに会社員から歌手へキャリアチェンジをする決意をしました。
その数年後に二期会オペラ研修所予科に入所しました。研修所に合格したことにより会社を退職しまして、派遣社員として働くことで音楽の勉強に時間をとりやすいようにしていました。
幸いにも研修所はマスタークラスまで進級することができ、無事に修了。現在は二期会会員となっています。
派遣社員は研修所が修了した翌年(?)に卒業し、音楽活動と会社の仕事のバランスをどうとるかを数年かけて見つけていきました。今振り返るとこのころが一番苦しい時期だったかもしれません。

現在は私の音楽活動を認めてくださる会社とご縁があり、正社員として働きながら音楽活動もしています。

この記事のころは「年収が上がってもうれしくなかった」と言っていますが、今は年収が上がるのは大歓迎でーーす(^^)/

この記事が掲載された日はお彼岸で、両親とともにお墓参りに行ってご先祖様に新聞記事になりましたよーとご報告した思い出があります(笑)



「ぶらあぼ」2014年12月号に広告掲載

ぶらあぼ2014年12月号p127

来月の今日は小森谷さんとのジョイントリサイタルの本番です。

というタイミングで「ぶらあぼ」2014年12月号に広告が掲載されました!
p.127の下段に載っていますので、ぜひお手に取って見てくださいね。

広告を出すということは…つまり…
多くの方にこの演奏会のことを知っていただき、会場にお越しいただきたいと思っているのです☆

「なぜ」って?

素晴らしい音楽会になるに違いないと確信しているからです^^

手前味噌ですが・・・

演奏曲がとにかくいいのです!!!
ゲーテの詩の美しさとシューベルトの旋律の妙。
R・シュトラウスの宝石のように輝く音の粒とオッフェンバックの泣ける音楽。

「オッフェンバックが泣けるですって?」と思ったそこのあなた! 「ホフマン物語」の音楽はグッとくるのですよ~~。

そして、小森谷さんのヴァイオリンの音色が素晴らしいのです!!!
まるで歌のようなヴァイオリンです(^^)

いいエネルギーをいただいて私の音楽にもいい変化が起こりつつあります。

本番までにどう変わっていけるのか、「ホフマン物語」のように
ミューズに見守られ、高みに上っていけるように…

私は今とてもワクワクしています。

ぶらあぼ2014年12月号表紙

 ↑
表紙はこんな感じだよん。

インタビュー記事が掲載されました

7月26日に開催しました「真夏の音楽会 Vol.2 ~R.シュトラウスとW.A.モーツァルト 時を超えた二人の天才作曲家~」で利用させていただきましたJTアートホールアフィニスさんのホームページに私のインタビュー記事と公演レビューが掲載されました!

Appassionato 響きにこだわり、奏でる音楽家たち

JTアートホールアフィニス Appassionato


このシリーズで取り上げられている音楽家の皆さんのラインナップをご覧いただくとお分かりになると思いますが、みなさん素晴らしいキャリアの方々ばかりです。そしてフォトジェニックな方々ですよね~。

なぜ、私? (◔◔? )

コンサートの企画内容が担当者の方の目に留まった…というのがきっかけです。
ところが、私のプロフィールを見たところ、なんだか普通の音楽家とは違うよね~というところで話を聞いてみたくなったのだそうです。

コンサートを開催するまでに何度かホールに足を運んで打ち合わせをさせていただくのですが、そこで直接お話しをさせていただいて、ますます興味を持っていただけて…選んでくださったとのこと。

こんなに素敵なページに仕立ててくださり、本当にありがたいことですね。感謝です。

私が音楽を勉強したいと思ったのは就職して間もなくの頃です。でもそれは、音楽家としてやっていくという意識はなく、一般大学に進学するのに、自分の興味のある学問が学べる学科を選ぶ…そういう感覚でした。
そうです。ただただ、音楽を勉強したい、心がそれを欲していました。
でも残念ながらその思いは届かず、まったくうまくいきませんでした。

その後いろいろあったのは記事をお読みいただくとお分かりいただけるのですが、これが職業として音楽家を明確に意識したのは31歳で病気になった時です。

その間、7年ほど間が空いているのですが、その時間も切れ切れになりながらも音楽とのかかわりは続いていました。
周囲の人は、私のことを「夢を見ないで現実をみろ!」といった具合に呆れていた人もいました。
どうせ会社の仕事をしたくないモラトリアムなんだろ?といった風に私をみる人もいました。
ずーっと会社で働き続け、それなりに成果もあげ、若くして大きな部門を任され、課長職にもあったのですが、なぜか「なにフラフラしてるんだ」とか「今バイトなの?」とか、そんなことを10年近く言われ続けていたのです。

それだけ、当時はキャリアを複数持つということが受け入れられていない世の中だったんだと思うのですが、雑音に振り回されることなくやり続けたことによって、今はパラレルキャリアを築くことができました。
今はこういったことで注目されるようになったということは、時代がそれを認めてくれるようになったということなんだと思います。
そして、それを目指している人も出てきているということですね。

これまでも様々メディアに取り上げていただいていたのですが、そのたびに同じように夢を実現させるために頑張っている若い人たちから相談をうけるようになってきました。

私は最初から「パラレルキャリアでいくぞ!」と思っていたわけではないのですが、自分にとってふさわしいあり方がそうであったということで、そこに落ち着いたということだったのだと思います。
そして、今までそれをやった人がいなかったために、「オペラ歌手にはそういう方法でもなれるのか!」という新たな事例になったことはまぎれもない事実です。

これまで「前例がない」と言われ苦しい思いもたくさんしましたが、こうして私が歩んできた道が次に続く方々に何か残せたのであれば、とてもうれしいことだと思っています。

皆さんのお近くで、私と同じように夢を実現させるべく頑張っている人、悩んでいる人がいらっしゃったら、この記事を紹介してあげてください。

私は決して優秀でもなんでもなくて、ただひたすら自分の軸になるものを貫き通した…ただそれだけなのです。
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